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江北図書館について

【沿 革】

1.図書館黎明期

明治16(1883)年「大日本教育会」が結成されたのに続いて、同25(1892)年に「日本文庫協会」が創設され、日本に図書館設立の機運が高まってきました。

杉野文彌

そのような中で、明治39年(1906)12月24日、伊香郡役所の全面的な支援を得て、寄付金1万円と170者を超える個人・法人等からの寄贈図書を加えた合計8,782冊をもって、財団法人の認可を取得、翌40年1月8日に財団法人江北図書館として開館しました。さらに明治42年12月30日、伊香郡役所が所有していた旧税務署庁舎を全て借用、広い閲覧スペースを備えた本格的な図書館として新たなスタートをきりました。爾来大正末年の郡制廃止まで伊香郡役所の全面的支援を得て運営されていました。開館当初の図書館数は全国で126館という時代でした。江北図書館は開館当初から高い理想を掲げ、明治43(1910)年には「図書館規則全部改正」、大正3年(1914)には「館外貸付規制全部改正」、さらに大正11(1922)年には図書館規則を改正し、「巡回文庫」を開始するなどして青少年の知的啓発に大いに貢献しました。


明治39年第一回日本文庫協会総会

2.図書館消滅期

郡制廃止後、江北図書館は基本財産運用益と杉野文彌からの支援により運営されていました。しかし、昭和の大恐慌で基本財産は枯渇し、昭和7(1925)年に杉野が没すると、支援も途絶え、運営は極度に困難となりました。

困難は当館にとどまらず、昭和初期の世界大恐慌の余波は、第2次世界大戦開戦、戦中戦後の異常事態へとつながって行きました。そのような中、明治30年代後半から昭和初期にかけて滋賀県下に41館も開設されていた図書館が、資金難や後継者難により次々と消滅し、昭和23(1948)年には5館(館数は全国第46位)となり、滋賀県は図書館貧困県と揶揄されました。このような状況の中、江北図書館は、住民の知の欲求を満たすという高い志を支えとして幾多の困難に耐え、何とか運営を続けたのでした。戦後は特に図書の入手が困難だったため、彦根市以北唯一の図書館であった当館の存在は「貧者の一灯」として若者に知的刺激を与えたと評価されました。

3.公立図書館建設期

戦後復興がほぼ完了した昭和40(1965)年からは、木之本ライオンズクラブから年々3万円相当の図書が寄贈さるようになり、昭和49(1974)年には旧伊香郡町村会から年間77万円 [昭和55年(1980)からは85万円]の支援が開始されました。さらに、永年基本財産が枯渇していたため、昭和50(1975)年、江北図書館として使用していた北国街道沿の旧江北銀行の敷地と建物を売却し、その代金の一部で旧伊香郡農会の建物を購入して移転し、残りの4,195万円を基本財産に充当することにより、財団法人の要件を回復することができました。

世界第2の経済大国といわれるようになった昭和50年代になると、滋賀県においても図書館開設の機運が高まり、県下すべての市町村に1館以上の公立図書館を建設する目標が立てられました。その結果、昭和53(1978)年に守山市立図書館が戦後初めて開館したことを皮切りに、湖北地方においても昭和58 (1983) 年に長浜市立、平成5 (1993) 年に高月町立図書館が設立され、滋賀県は図書館先進県と評価されるようになりました。しかし、長浜市の北半分の面積を持つ旧伊香郡3町(木之本、余呉、西浅井)には公立図書館が建設されず、平成22 (2010) 年1月、伊香郡が長浜市と合併してからも、旧伊香郡は旧高月町を除き県内唯一の公立図書館不在地域として残ることになりました。

4.公益財団法人への移行と課題

平成18年の公益法人制度改革関連法案成立に伴い、江北図書館は、明治14(1881)年に設立され、平成23年2月に解散した社会福祉法人「社団法人伊香相救社」の残余財産を譲り受け、平成23年(2011年)6月、公益財団法人の認定を受けました。

伊香郡の長浜市への合併により伊香郡町村会が消滅し、町村会からの支援がなくなった現在、当館の年間収入は伊香相救社から譲り受けた駐車場の収入約220万円(62区画x36,000円)と低金利下での基本財産運用益約20万円と合わせて年間約240万円です。しかしその中から、駐車場に供している土地には固定資産税約30万円が課せられています。

私立図書館は図書館法の規定により公的資金を受けることができません。そのため、運営は極めて厳しい状況にあります。しかし、当館は、公共図書館としての役割を果たすことを願って、次の活動を柱として、日々努力をしてきました。

① 図書館空白地域の図書館として住民の図書需要に対応すること
② 100余年にわたって蓄積された貴重図書・貴重史資料の整理・保存・活用体制を整備すること
③ 子どもに読書の機会を提供すること、特にグローバル化時代に対応できるよう世界の多様な価値観を理解できるような絵本や書物に触れる機会を提供すること
④ 図書館を地域のコミュニティ広場のような形で利用してもらえる雰囲気を醸成すること
⑤ 私立図書館でなければできない図書館活動は何か、を見つけ実行すること、などです。

以上の活動の中で当館にとって最も大きな永年の課題は、開設以来蓄積してきた貴重な図書や文書を、如何にして安全に保管し有効に活用するかにありました。

基本財産を何とか確保するため、昭和50(1975)年に旧江北銀行の土地・建物を売却するまでは、江戸・明治期の図書やその他の貴重な史資料は旧江北銀行の金庫(堅牢な土蔵)に収納され安全な状態に保たれていました。しかし、現在の建物は昭和12(1937)年築の木造モルタル建築で長く風雪にさらされ続けてきたため、建物の老朽化が激しく、そのうえ、耐震・耐火・盗難の備えがないため、所蔵史資料の安全な管理に大きな不安がありました。そのため、これまで、貴重な所蔵史資料の安全な保存について様々な努力が重ねられてきましたが、すべて徒労に終わり頭を痛めていました。

和装本棚 そのさなか、平成23年1月、アベノミクスによる景気浮揚策の一環として滋賀大学に総合研究棟の建設が認められたという情報を、当館所蔵史資料の価値を認識されている当館評議員で滋賀大学経済経営研究所長より得ました。そこで、江北図書館理事会・評議員会は満場一致をもって新設される総合研究棟において当館所蔵の貴重な史資料の管理と活用をお願いしました。

その結果、紆余曲折はありましたが、平成25年12月、滋賀大学との間で、当館所蔵の史資料の「使用貸借契約」が締結され、分類整理を終えた貴重な史資料は平成27年6月に滋賀大学経済経営研究所・総合研究棟<士魂商才館>に移管されたのでした。こうして、永年喫緊の課題として実現しなかった、明治末期から100年以上にわたって蒐集し蓄積されてきた貴重な史資料の安全性の確保の念願がかなったのでした。滋賀大学の英断に深甚の感謝している次第です。

このようにして、滋賀大学経済学部経済経営研究所へ移管された貴重な図書や文書などは一括して「江北図書館文庫」と称して保存・活用に供されることになりました。

残された当館の課題は、年間に使える資金が約220万円という状況の下で、如何にして公立図書館不在の旧伊香郡3町(木之本・余呉・西浅井)の住民に対して満足のゆく図書館サービスを提供するかにあります。


江北図書館のあゆみ(pdf)